姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪(りゃくだつ)されて、不相応に小さな奴をもってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、一杯にもった積りでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。したがって頻繁(ひんぱん)に御はちの方へ手が出る。もう四膳かえて、今度は五杯目である。とん子は御はちの蓋(ふた)をあけて大きなしゃもじを取り上げて、しばらく眺(なが)めていた。これは食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものと見えて、焦(こ)げのなさそうなところを見計って一掬(ひとしゃく)いしゃもじの上へ乗せたまでは無難(ぶなん)であったが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入(はい)りきらん飯は塊(かた)まったまま畳の上へ転(ころ)がり出した。とん子は驚ろく景色(けしき)もなく、こぼれた飯を鄭寧(ていねい)に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんな御はちの中へ入れてしまった。少しきたないようだ。
坊ばが一大活躍を試みて箸を刎(は)ね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそい了(おわ)った時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、大変よ、顔が御(ご)ぜん粒だらけよ」と云いながら、早速(さっそく)坊ばの顔の掃除にとりかかる。第一に鼻のあたまに寄寓(きぐう)していたのを取払う。取払って捨てると思のほか、すぐ自分の口のなかへ入れてしまったのには驚ろいた。それから頬(ほ)っぺたにかかる。ここには大分(だいぶ)群(ぐん)をなして数(かず)にしたら、両方を合せて約二十粒もあったろう。姉は丹念に一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔中にある奴を一つ残らず食ってしまった。この時ただ今まではおとなしく沢庵(たくあん)をかじっていたすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋(さつまいも)のくずれたのをしゃくい出して、勢よく口の内へ抛(ほう)り込んだ。諸君も御承知であろうが、汁にした薩摩芋の熱したのほど口中(こうちゅう)にこたえる者はない。大人(おとな)ですら注意しないと火傷(やけど)をしたような心持ちがする。ましてすん子のごとき、薩摩芋に経験の乏(とぼ)しい者は無論狼狽(ろうばい)する訳である。すん子はワッと云いながら口中(こうちゅう)の芋を食卓の上へ吐き出した。その二三片(ぺん)がどう云う拍子か、坊ばの前まですべって来て、ちょうどいい加減な距離でとまる。坊ばは固(もと)より薩摩芋が大好きである。大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで来たのだから、早速箸を抛(ほう)り出して、手攫(てづか)みにしてむしゃむしゃ食ってしまった。
先刻(さっき)からこの体(てい)たらくを目撃していた主人は、一言(いちごん)も云わずに、専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んで、この時はすでに楊枝(ようじ)を使っている最中であった。主人は娘の教育に関して絶体的放任主義を執(と)るつもりと見える。今に三人が海老茶式部(えびちゃしきぶ)か鼠式部(ねずみしきぶ)かになって、三人とも申し合せたように情夫(じょうふ)をこしらえて出奔(しゅっぽん)しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。働きのない事だ。しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌(かま)をかけて人を陥(おとしい)れる事よりほかに何も知らないようだ。中学などの少年輩までが見様見真似(みようみまね)に、こうしなくては幅が利(き)かないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々(とくとく)と履行(りこう)して未来の紳士だと思っている。これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびに撲(なぐ)ってやりたくなる。こんなものが一人でも殖(ふ)えれば国家はそれだけ衰える訳である。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。情(なさけ)ない事だ。こんなごろつき手に比べると主人などは遥(はる)かに上等な人間と云わなくてはならん。意気地のないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口才(ちょこざい)でないところが上等なのである。
かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝食(あさめし)を済ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。格子(こうし)をあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。あの遊廓のある吉原の近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々滑稽(こっけい)であった。